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見えないものが見えるとき。

春の野山は。

新緑に包まれて、あっちこっちでウグイスが鳴き交わしていたりして。

やわらかなみどりがきれいで、爽やかな空気がおいしくて。

なんだかうきうきしてくる。



聞こえてくるのは風がそよぐ音。

鳥の鳴き声。

小川のせせらぎ。


それっくらいしかない静かな中で、いろいろ感じる時間がむかしからすきだ。




でも、師匠たちと山に入るようになったある日。

さっささっさと進む師匠に遅れないように、必死になって山道を歩く僕。

ふと立ち止まり、目の前に大きな背中。

ひたすら追いかけていた僕は、師匠のお尻にぶつかりそうになったりした。

どうしたの、と見上げると。


何も言わずに指を差す。

その先には新緑の葉っぱがにょきにょき出てる。

ん?

なになに?

わからんよ?



師匠の顔を見上げると。



ん。

とただ黙って指を向けられる。


じ~っとその方向を見ても、やっぱりわかんね。

緑が繁ってるしかわかんね。


そしたら。

“あのな、あそこに二本立ってるシシャシャキの樹の横にスッと伸びとる白っぽい木があるら?”

“そこをよ~く見てみよ”



言われてじ~っと見ても、最初の頃はぜんっぜんわかんね。

見るに見かねてか、師匠がその木の根元まで行ってそれを揺さぶる。


はぁ。となる僕。


“これがタラだぞん”


と、一言。

“覚えておけよ”とは言わない。


僕のほうは。

“これがタラかー!タラは美味しいもんなぁ。酢味噌でも旨いし、天ぷらでもいいし。師匠はすぐ見つけれてすごいなぁ。いいなぁ。僕もそうなりたいなぁ。”

なんて思ってたはず。



そのうちに、指をさしてくれたら緑の中からその対象物だけふっと浮かんで見えるようになる。

そうなると、見えないものが見えるようになって嬉しいわけ。

なんというのかな、天然の宝探しみたい。

しかも、見つけた宝は持って帰ったら家族が喜ぶ。


つまり、見つける力を磨くということは家族により役に立てるということ。

それがいろんな種類にわたってきて、自分の引き出しを増やすことで、遊びが面白いだけに終わらず、人の為にもなる。





そのうちに、師匠が指をささないときがきた。

あえて、見つけても口に出さない。

いや、出してくれない。

そして、言わなくても僕がそれ(たとえば、ウドとかタラとか)を見抜けるか、そこが大事。

そうして、自分で苦労しながら探しだせるようになって一人前。

いつまでもおんぶにだっこじゃしょうがないもの。


あえて、突き放してくれていたわけ。

そのうち、こっちも賢くなって、上手になってくる。

すきですきで、すきだから。



師匠は歩きながら周りを見渡している。

見渡しながら、歩いて進んでいく。

そして、何かいいもん(山菜、動物の足跡、鳥の巣、)を見つけると、その一瞬だけは目線がそこに止まる。

ん?ありゃあなんだ?

となった瞬間は、そこで目が留まる。

だから、師匠の目の動きを追って、ちょっとでも目が留まった場所にピントを合わせる。

すると、効率的に山菜やら動物の跡を見つけれるようになった。

一生懸命、師匠のようになりたいと思ううちに。

目で盗むことを覚えていった。




幼い頃は、師匠の後を追いかけることに必死で、周りを見渡す余裕がなかったのに。

次第に、自分一人で見つけれるようになり。

さらに、師匠を見れるようになった。

そのゆとりが、腕をより磨かせてくれた。


探究心と、想像力、熱意。




そうして、見えないものが見えるようになってきて。

ただ単に、空気が美味しいなぁとか、緑がきれいだなぁだけに終わらず。



イノシシが掘り返したワラビの根っこを見て、その土の乾き具合からいつの晩に食べたかとか。

足跡の大きさや、歩き方からおおよその体重をとか。



もう、山に入るたびにワクワクする。

というより、山に入ることがワクワクすること。

それが日々の暮らしの中心になり。


川へ、海へと多岐に渡り。



自然の中っておもしろいなぁと、感じ。

自然の中で生きることを楽しめるようになり。

あまりに調子に乗りすぎると、ときに戒めを受けて怪我もして。



それでも、すきで続けてきて。

振り返ってみたら、ずっとそれをして生きてきたことに気づき。


想像して、探し求めて。

日々、ワクワクしながら。

美味しいものを必要な分だけ頂いて、分かち合い。







そんな若造と一緒に時間を過ごすことに価値を感じてくれる人がいる。

こいつと一緒におると、面白くて楽しくて、美味しい、と。

遠いとこから、交通費はたいて高知まで来てくれる。

ただ、その若造と遊ぶためだけに。




僕自身は、無理はしてない。

いなかもんやき、ちったぁ気を遣っちゃうときもあるけど。



自然の中の僕はふんわり自然体で。

一緒に時間を過ごすことで、いい笑顔になってくれて。

元気になってそれぞれの場所へ帰ってくれることが、素直に嬉しい。

“また、遊ぼうね”って。


自分を活かすとか、考えたことはあまりなかったけど。

今、自然の中でなら。

そのままの自分を活かすことで、人の役に立てる。


それって、有難いことだなぁと思う。




受け継ごうと思って受け継げるほど甘いもんじゃないけれど。

すきですきで続けてきたことで、結果としては多くのことを受け継がせていただいて。

今の自分がある。


そんな自分が、それを活かして誰かの支えになれている姿は。

師匠たちへのこれ以上ない、今の僕からの恩返しだなぁと思う。

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No title

うーん。素敵。
あたしも5月に山菜みんなで探して見つけれたときはほんまに嬉しかったなー!
いたどりのポコ(?)っていう音また聞きたいなぁー!
タラの芽見つけたいなぁー♪
フキとつわぶき見分けられたときも嬉しかったし、魚釣れたときも大興奮やったなー。
今日のテレビみて、5月のこと鮮明に思い出したよー。
また一緒に遊んでください★^^

No title

ふくちゃんと遊びはじめて、わたしも見えないものがたくさん見えるようになった。自然のなかのことも、毎日の暮らしのことも。

心のなかにも見えないものってたくさんあるのよね。
複雑にガチガチに絡み合ってしもうて。
でも誠実な暮らし方に触れると、心のなかもすっきりして
いろんな気持ちが見えるようになる。雲が晴れていくみたいに、すぅっーっとね。

だから都会から交通費を払ってふくちゃんに会いにいく人たちの気持ちも、すごくわかります。

いつもありがとう。
今年は良い1年だったなぁ・・・
プロフィール

atsutaya

Author:atsutaya




生粋の里山育ち。


*ククリワナ猟でイノシシやシカ。
*魚釣り、時に潜りとジゴク漁。
*貝にワカメにカニに山菜。
*秋はひたすらオオスズメバチ追い。

巡る季節のなか、自然に遊んでもらいながらも真剣に。
そんな日々の暮らしを綴るブログです。

著:(これ、いなかからのお裾分けです。)

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